ムナクリ通信

バレエのムナクリ通信一覧

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バレエバレエ対談 その22015.07.01

宗像靖彦クリニック顧問 山野博大先生(舞踊評論家)に聞く

2015年上半期に見た舞台から

ballesinsyun

―――2015年も半分が過ぎました。ここまででどのくらいの数、公演を見ているのですか。
山野博大◆数えてみたら153です。そのうち舞踊公演は120で、その他は歌舞伎、能狂言、文楽などの日本の古典芸能とオペラ、ミュージカル、現代演劇などで33。
―――月に換算すると舞踊が20本、その他が5~6本ということになりますね。
山野◆こんなに見て、いったいどうするんだろうと自分でも思いますが、こういう状態がもう半世紀以上も続いて、今では日常化しているんです。
―――2015年前半でもっとも心に残った舞踊は何でしたか。
山野◆4月に東京芸術劇場プレイハウスで見た『ドラミング』ですかね。これはブリュッセルの有名な舞踊団ローザスを主宰するアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの作品です。ローザスの初来日は1989年のことで、今回は5年ぶり。『ドラミング』は1998年の初演で、男4人、女8人が踊りました。いろいろに踊りをつないで途切れることがない状態を続けているだけで、ドラマ的なものは何もないのです。しかしいずれもとびきり優秀なダンサーたちの踊りでしたから、それで十分満足しました。
―――日本のものではどうですか。
山野◆6月に八王子のオリンパスホールで見たバレエシャンブルウエスト公演の『Tale』が、強く心に残っています。これは舩木城という若い振付者の新作なんです。どこかの地域社会を描いたものという感じで幕が上がります。主役をはじめから目立たせないようにして、じわじわと踊りを広げて行く。そうして中心の男女(今村博明、川口ゆり子)の愛の行方に焦点がぴたりと合ったところで幕となります。若い優秀なダンサーの見せ場もあり、とても見応えのある中編でした。舩木という振付者は、ダンサーを厳しく動かす妥協のない人なんです。自分の師にあたる今村博明と川口ゆり子にも、かなりハードな動きを課していました。もう若くないどころか高年齢の域に達している二人の真摯な取り組み、懸命さが客席まで伝わってきました。久しぶりに中味の濃い「創作」を見たという昂揚感を覚えました。
―――創作では、他に何かありましたか。
山野◆1月にKAAT神奈川芸術劇場ホールで見たNoism 1の金森穣の新作『ASU~不可視への献身』は、問題作でした。昨年の12月19日に彼らの本拠地である新潟のりゅーとぴあで初演したものを神奈川で再演したのです。第1部の明るかった舞台が一転して暗くなり、第2部の「ASU」となります。灯火を掲げたダンサー9人が登場して、アルタイ共和国に伝わるカイ(喉歌)という、日本の義太夫を思わせる感じの歌で踊ります。金森穣は、ここで長い時間をかけて日本に蓄積した洋舞の「動き」の持つ独特のハイカラなニュアンスに「待った」をかけたのではないかと私は思いました。大事なところをぐさりと突いて来たという意味で、これは問題作なのです。Noismは、3月の《NHKバレエの饗宴》では『supernova』を上演して、トップ・ダンサーであり、副芸術監督の井関佐和子を強烈にアピールしました。6月にKAAT神奈川芸術劇場大スタジオで『箱入り娘』という、小さめの舞台空間を使った近代童話劇シリーズの第1作を披露しました。この作品は今の時代に生きている我々の生の姿を描いて、観客につきつけてくる怖い怖い童話劇でした。初演はこの4月にりゅーとぴあのスタジオBでやっています。まず地元の人たちに見せてからという姿勢を彼らは常に忘れていないのです。
―――Noismは新潟の劇場を拠点にして、土地と結びつく新しい舞踊の創造に時間をかけて取り組んでいますね。
山野◆そうです。そういう彼らの活動の意義を理解して、第二のりゅーとぴあが早く出てきてくれないかと思っているのですが、残念なことに、今のところまだその動きは見られません。それから3月に新宿文化センター大ホールで見たユニット・キミホ公演の『春の祭典 Le Sacre du Printemps』もけっこうおもしろかったですね。赤い布を幕、舞台美術、床の敷物と使いまわして、そこに地球を構成する粒子としてのダンサーたちをからませるんです。床に敷いた赤い布を揺らした波の中で人間が翻弄される感じが、なかなかの見ものでした。
―――バレエ以外では、どうですか。
山野◆このところ勅使川原三郎の動きがとても活発です。活発を通り越して過激と言ってもよいくらい。彼は東京の荻窪に自前のスタジオを構えているのですが、その地下を“アパラタス”という小劇場にして連続公演をやっています。1月に『春、一夜にして』『道化』『平均率、バッハよりⅡ』、3月に『朝』、5月に『ペレアスとメリザンド』『神経の湖』、6月に『ゴドーを待ちながら』『星座』と半年で8作品という多作ぶりです。こんなにたくさん作っているのに、緻密に重ねられた動きの繊細さ、力強さ、展開の多彩さが、どの作品においても見る者に踊りの良さ、おもしろさを伝えました。
―――勅使川原さんはたしかもう還暦を過ぎていると思うんですが、たいへんなエネルギーですね。
山野◆そうなんです。その他に海外での仕事もやっているのですから、すごいです。そのすばらしい活躍ぶりを評価して、この6月に現代舞踊協会制定の第32回江口隆哉賞(文部科学大臣賞も)が贈られました。
―――その他、注目すべき舞踊界の動きとしては……。
山野◆3月に新国立劇場中劇場で、ダンス・アーカイヴin JAPAN 2015《石井漠、江口隆哉、執行正俊、檜健次、石井みどりの作品》という公演がありました。これは昨年6月の《ダンス・アーカイヴin JAPAN》に続くもので、日本の現代舞踊の歴史的遺産を再現して見せようというものでした。とかく新しいことに目が向きがちですが、すでに100年となる日本の洋舞の歴史を知り、そこからいろいろなものを取り入れて自分が今やっている舞踊を豊かにするという方法もあると思うんです。すでにそういう動きが日本のあちこちに出てきています。
―――東日本大震災の直撃を受けた東北地区の舞踊活動はどうだったのでしょうか。
山野◆現地に住んでいないので、詳しいことはわからないのですが、東北地区の舞踊家が主催する公演は目立って減っているのではないかという気がします。3月にイズミティ21大ホールで行われた宮城県洋舞団体連合会主催のコンクールの審査を今年もやらせてもらいましたが、その時に東北地区の舞踊家の厳しい実態を聞きました。復興がままならない中で、庶民の家庭でまず削られるのが舞踊を習うための月謝なんですね。稽古に通ってくる子どもが「家の事情で辞めます」と言ってくる。そんな時に、ほんとうは舞踊が好きで辞めたくない子どものことを思う先生は「月謝が払えるようになるまで待ってあげるから、辞めないでいいんだよ」とどうしても言ってしまうそうです。それが重なって、生徒はいるけれども収入が激減という事態になっている。
―――被害を受けて苦しんでいる舞踊家が、被災した子どもたちにボランティアで舞踊を教えなければならないという実情は、私も知りませんでした。
山野◆だから発表会に参加できない子どもが多くなって、中止せざるをえない事態に追い込まれているところもあるそうです。このまま行ったら廃業しかないという声も聞こえてきます。しかしそういう実態は、他の地域の人たちにはあんがい知られていないんです。東北地区へ行って、地元の人たちに無料で踊りを見せることを支援だと思っている人がいます。発表会もできない状態に追い込まれて、自分の舞踊を見せる機会を持てない舞踊家がいることを考えたら、そんなことはできないはずなんです。ほんとうに支援する気があるのなら、月謝を払えない子どものために奨学金を出してあげることを、まず考えるべきではないでしょうか。
―――厳しい被災地の実態を舞踊の全国組織の上に立つ人たちはしっかりと把握して、直ちに行政に働きかけるべきです。そんな東北地区の舞踊家で、注目すべき舞台をやった人はありましたか。
山野◆私の見ている範囲でしか言えないのですが、仙台の高橋裕子舞踊団が《第35回モダンダンス5月の祭典》で『Eternity』を、6月の北沢タウンホールで行われた《DANCE創世紀》で『野鴨』を上演して気を吐きました。『野鴨』は、高橋茉那、山田総子、三浦水輝、宗像亮ら10人による群舞作品で、ダンサーたちの高度な技術を使いながら、全体としてはたんたんと野鴨の生態を描いた、しっとりと落ち着いた良い作品でした。
―――その他、注目すべきこととしては……。
山野◆この期間に有名舞踊家が何人も亡くなっています。1月7日に小川亜矢子(享年81)、2月22日に坂東三津五郎(享年59)、4月26日に谷桃子(享年94)、4月30日に藤間蘭景(享年85)、5月2日にマイヤ・プリセツカヤ(享年89)、6月18日に室伏鴻(享年68)と続きました。
―――小川、谷、プリセツカヤがバレエ、三津五郎が歌舞伎舞踊、藤間蘭景が日本舞踊、室伏鴻が舞踏ですね。みんな舞踊の歴史に名前が残る人ばかりです。
山野◆谷さんは、1月の94歳のお誕生日のお祝いでお目にかかった時には、とてもお元気だったんですが……。ひとつの時代が終わったという感じですね。時代が変わる出来事としては、6月に日本バレエ協会の会長が薄井憲二から岡本佳津子に代りました。薄井さんが、ご病気の回復がはかばかしくないということで退任を申し出られ、急きょ副会長の岡本さんの就任が決まりました。それで6月12日の第31回服部智恵子賞の授賞式では、彼女が会長として中村恩恵に賞状を渡しました。中村恩恵は、服部・島田バレエ団のプリマだった小倉礼子の門下ですから、服部智恵子の孫弟子にあたります。服部・島田バレエ団系統の人が初めてこの賞を受賞したことを、服部さんもあちらで喜んでいると思います。
―――中村さんは、クラシック・バレエの枠を飛び越えてコンテンポラリーの方でも活躍する舞踊家ですね。ネザーランド・ダンス・シアターでキリアンの作品を踊っていました。今までは、服部智恵子賞はクラシック・バレエのプリマが貰うものと思っていましたので、新たしい時代に入ったなという感じがします。
―――舞踊以外の舞台もたくさん見ているようですが、何かおもしろかったものがありましたか。
山野◆6月の終わりに新国立劇場で見たオペラ『沈黙』が良かったですね。これは遠藤周作の原作をもとに松村禎三が台本を書き、作曲したものです。1993年の初演です。弾圧されているキリスト教徒を救おうと危険を承知で来日し、神の沈黙の前で苦悩するポルトガルの若き宣教師ロドリゴが主人公です。それから5月に見た新国立劇場演劇公演のイプセン作『海の夫人』もおもしろかったですね。医師ヴァンゲルの後妻となり、二人の娘の母にもなってしまう海の夫人エリーダ役を演じた麻実れいのたしかな存在感。とてもすてきでした。
―――まだいろいろあると思いますが、だいぶ長くなりましたので、この辺で……。
山野◆まだまだ、クラシック・バレエの若いスター・ダンサーのこととか、このところのコンテンポラリーの状況とか、最近の日本舞踊界の動きとか、話しておきたいことがいろいろとあるのですが、それはまた別の機会に……。

宗像靖彦クリニックでは、バレエ外来を行っております。

バレエバレエの歴史2015.03.01

バレエの歴史

当院では、バレエダンサーのための外来診療を行っております。バレエダンサーにとって足は生命線といっても過言ではありません。昨今の日本国内バレエ事情は、幼い頃からコンクール重視の風潮が強いため、骨格が安定しない時期からトウシューズを履いて、足に負担のかかる難しいテクニックを「叩き込まれる」ことが多いようです。日本では幼い頃からバレエを習う機会が多いのですが、バレエダンサーとして大成する機会は極めてわずかです。日本人の体形がクラシックバレエ向きではないことが原因と言われてきました。しかし、昔の欧米のクラシックバレエダンサーの写真と、現在の日本人クラシックバレエダンサーの写真を比べても、日本人ダンサーが特に見劣りするということはありません。

バレエの本場である欧米にあって、日本にないものは何でしょうか?

それは体系化されたバレエ教育です。

バレエはイタリアのルネサンス期に生まれ、「宮廷バレエ」としてフランスに伝わりました。貴族のたしなみであったことから、ダンサーには美しさと気品が求められました。日本では根性論が先行し、徹底的に体を痛めつけるスパルタ式トレーニング法が採用されてきました。このため、不要な筋肉がついて美しいシルエットが出せなくなったり、怪我をしてダンサー生命を絶たれたりということが起こりやすい風土になってしまったものと考えられます。

さて、バレエの基礎を築いた最大の功労者はフランス国王「太陽王」ルイ14世です。「太陽王」の称号の由来についてはバレエにまつわるエピソードがあります。歴史授業では当時のフランスの領土が広大で、その領土には常に太陽が輝いていたから、「太陽王」と呼ばれたと習いました。しかし、これは事実ではありません。「太陽王」はルイ14世が「夜のバレエ」(1653年)という作品の中で“太陽の役”を踊ったためにつけられた称号なのです。当時のフランスではバレエを上手に踊ることができれば王に近づき権力を手に入れるチャンスがありました。このため、その当時バレエを踊るのはほとんどが男性でした。しかし、ルイ14世の現役引退後はバレエと権力の結びつきが希薄になったため、王侯貴族のダンサーは少なくなり、職業としてのダンサー、女性ダンサーが多くなってくるのです。ルイ14世はバレエの5つの基本ポジションを体系化し王立バレエ学校(パリオペラ座バレエ学校)を創設しました。男性ダンサーの全盛時代には足を出すダンサーは男性ダンサーだけで、女性はロングドレスを着て踊り、ほとんど足先しかみえなかったようです。職業女性ダンサーの時代になると男性ダンサーに引けを取らないテクニックを持った女性ダンサーがバレエを進化させ、美しい足先を見せるため、女性ダンサーは衣装の丈を短くしてゆきました。これがチュチュという衣装です。バレエの代名詞トウシューズは足を美しく見せるためのみならず、宙を浮く妖精を表現するために発達してきました。トウシューズテクニックの完成はロマンティック・バレエの扉を開けたのです。ロマンティック・バレエではロマン主義の影響で感性や想像力を重視し、妖精や亡霊などのこの世のものではない存在を描こうとしました。ロマンティック・バレエの代表作が「ラ・シルフィード」(1832年)や「ジゼル」(1841年)です。この頃がバレエ体系の完成期と言われています。

皆さんもバレエコンサートに出かけてみませんか?

宗像靖彦クリニックでは、バレエ外来を行っております。

バレエ2015年 新春対談 2015.01.01

宗像靖彦クリニック顧問 山野博大先生(舞踊評論家)に聞く

大切にしたい踊る人のからだ

ballesinsyun

――日本のバレエの歴史はどのくらいになるのですか。
山野博大◆ 1911(大正1)年に日本初めての洋式劇場の帝劇が建ち、そこへローシーというイタリア人がやって来て日本人にバレエを教えたのが始まりです。だから日本の洋舞の歴史は、約100年というところです。私はその日本に入ってきた洋舞を半世紀以上も見続けてきました。橘秋子、松尾明美、友井唯起子、谷桃子、貝谷八百子、松山樹子、笹田繁子、太刀川瑠璃子、牧阿佐美、松本道子、須永晶子、小林紀子、岡本佳津子、大原永子ら、日本バレエの歴史に名前を残した人たちの舞台姿が懐かしいです。

――そういう日本バレエの昔のスターたちの踊りはどんなだったのですか。
山野◆ 多くは脚の故障を抱えていました。日本の古典芸能は、からだを痛めつけることで芸を身につけるスパルタ式訓練を基礎にして伝えられてきました。20世紀になって日本に入ってきたバレエにも、その影響は及んでいて、みんなその試練に耐えてスターの座を目指したのです。そういうわけで、どうしても腿やふくらはぎの筋肉が目立ち、きれいと言うよりはたくましいと言った方が適切なからだつきの人たちが多かったと思います。トーシューズの履き方も自己流で、外反母趾はあたりまえ。脚の故障を押して舞台に立つ人も多かったのです。

――欧米のバレエと違った歴史をたどってきたんですね。
山野◆ クラシック・バレエの中心に存在するお姫様は、きれいで品が良いことが第一ですから、からだに苦しい訓練の跡が残っていてはいけないのです。まず美しいからだを作り、それをたくみにコントロールする方法を身につけるための教育が、ルイ14世が創立したパリ・オペラ座のバレエ学校以来、ずっと行われてきました。スパルタ式の訓練は行われたことはありません。

――日本のバレエ界がその違いに気付いたのは……?
山野◆ 1960(昭和35)年にチャイコフスキー記念東京バレエ学校が設立され、メッセレル女史が来日してロシア式のバレエ・テクニックを教えるようになってからですね。そこから日本のバレエ教育は大きく変わりました。日本の経済力が強くなったことがベースとなって、トーシューズを製造する技術も飛躍的に向上しました。それにつれてバレリーナの脚がだんだんきれいになってきたのです。

 
――バレリーナの脚に対する医学的な面からのフォローは、どうだったんでしょうか。
山野◆ お父さんがお医者さんというバレリーナがいました。そういう人たちは、脚を大事にする意識をいくらかは持っていたと思うのです。しかし専門的な知識を身につけたお医者さんは、まだとても少ないのが実情です。今年の私の仕事はじめは、一月に東京で行われた“NBAバレエコンペティション”の審査でした。そこに登場したダンサーたちの脚は、半世紀前とは比べものにならない美しさでした。しかし、中にはまだスパルタ式訓練を思わせる、腿やふくらはぎの筋肉が目立つ人もちらほら見えました。

――バレエ先進国の欧米との違いがまだまだあるんですね。
山野◆ 向こうのバレエは400年以上の歴史を持っているので、なかなかその差はかんたんには埋められないと思います。しかし日本人ダンサーが世界の多くのバレエ団で活躍しています。脚を大事にしなければいけないという意識は、かなり広まってきています。そういう意味から、踊る人のための宗像クリニックが身近にある仙台の舞踊家たちは幸せですね。

――その他、何かありましたら。
山野◆ 戦前からの歴史を持つ日本の現代舞踊の人たちは、からだを痛めつけることで芸を身につけた日本の古典芸能に似たかたちのトレーニングを受け継いでいます。まだ脚を大事にする意識はかなり薄いように思います。また最近はやりのコンテンポラリー・ダンスは、無理なからだの動きを使った新しい表現を目指す傾向が強いこと、それに対する肉体的な保護措置が追いついていないのが実情です。どうしても怪我人が多く出てしまいます。ダンサーにとってからだはかけがえのない財産ですから、くれぐれも大事に使って、活躍してもらいたいと思います。

バレエバレエの医学2013.10.01

花

【バレエの身体負荷について】

 人類は進化した結果、直立歩行を獲得しました。直立歩行は、人体の構造上、骨盤に多大な負荷のかかる奇跡的な能力なのです。重い頭部から重力方向に脊椎を介して骨盤に押し下げの負荷がかかる一方、両下肢からは反重力方向に股関節を介して骨盤に押し上げの負荷がかかります。また内臓を保持させるための骨盤底筋群には常に大きなテンションがかかっています。骨盤付近には直立歩行という、反重力行為に起因するストレスが常にかかっています。そのため、スポーツなど直立を前提とした人体パフォーマンスには怪我や障害が多いのです。
 バレエはどうでしょうか?音楽に合わせて、多彩な運動を行うバレエは、最高に進化した人間にしか為しえない、人類史上最も進化した身体パフォーマンスなのです。ステージ上で華麗に舞うダンサーを見ると信じられないくらいの柔軟性、跳躍力などが必要とされるイメージが思い浮かびます。その能力の原点はどこにあるのでしょうか?コンテンポラリーダンス、モダンダンスなど、様々なジャンルの舞踊の原点はクラシックバレエの基礎訓練にあるのです。身体能力が高く、かつ表現力の優れた一流のダンサーはクラシックバレエの基礎も一流です。何故彼らが一流なのかと言えば、反重力行為を安全に遂行する能力を習得し、怪我や障害を克服する能力を持っているからなのです。

【クラシックバレエの基礎訓練について】

 クラシックバレエの基礎トレーニングはストレッチトレーニングと骨盤を守るための筋力トレーニングの二つで構成されています。これは、直立歩行を前提とした発展運動を効率よく安全に行うための基礎レッスンでもあります。たとえば、太ももの内側の筋肉(内転筋)は、直立したり歩いたりするための筋肉ではないので、普段あまり使いません。しかし、バレエではこの内転筋が一番重要なので、真っ先にトレーニングの対象となります。股関節を介して骨盤に伝わる押し上げの力を効率よく分散するのがこの筋肉なのです。この筋肉を使うと姿勢が「がに股」っぽくなります。実はこのがに股、瞬発的に体全体を動かさなければならない時の構えの姿勢なのです。内転筋がうまく使えないと、俊敏な動きができないだけでなく、体を動かしたときにバランスが保てず転んでしまします。内転筋が上手に使えれば、このような障害が解消されます。バレエダンサーの姿勢が良いのは、このような骨盤保護のための筋力トレーニングを行っているからなのです。
 私たちの日常生活を考えた時、何気なく行っている直立歩行が、健康維持の観点からは大変なリスクになっているのです。丈夫な体が健康生活の大前提です。クラシックバレエの基礎トレーニング、ストレッチと骨盤保護筋力強化は、元気な健康生活に大いに役立つものと考えられます。なぜなら、人類最大の反重力行為であるバレエパフォーマンスでの安全を担保するために編み出されたのがクラシックバレエの基礎トレーニングだから、
「クラシックバレエの基礎訓練」=「健康の獲得と維持」なのです。

宗像靖彦クリニックでは、バレエ外来を行っております。

 

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