ムナクリ通信

宗像靖彦クリニックでは、健康生活に必要なあらゆる情報発信をしております。
もっと詳しくお聞きしたい事や、他に知りたい内容などございましたら、スタッフにお伝えください。

太りすぎのダイエット(食事)について~その4~2016.01.01

基礎代謝量について

前回もお話しした通り、「基礎代謝」とは何もせずじっとしていても、生命活動を維持するために 生体で自動的に(生理的に)行われている活動で必要なエネルギーのことです。基礎代謝は人間の一日のカロリー消費の60%以上を占めているのです。つまり、基礎代謝量が増えれば、何もしなくてもカロリーを消費して、やせることができる(太りにくくなる)ということになります。では基礎代謝量を上げるためにはどうしたら良いのでしょうか?

基礎代謝量の計算方法は様々ありますが、以下のようなハリス・ベネディクト方程式などが使われます。
男性: 13.397×体重kg+4.799×身長cm-5.677×年齢+88.362
女性: 9.247×体重kg+3.098×身長cm-4.33×年齢+447.593
計算式を見てもわかるように、基礎代謝量を上げるためには、体重を増やす必要があるのです。

 体重の増やし方が重要です。「筋肉」を増やして体重を増やしましょう。筋肉量を増やすことで、運動効率が向上します。特に、背中や腰回り、太ももの筋肉など大きな筋肉を鍛えて、筋肉量を増やせば、これらの筋肉の活動で効率よくカロリーを消費することができるようになるわけです。

筋肉

 「基礎代謝量を上げる」ということの意味は、①筋肉量を増やす、②鍛えた筋肉で運動効率をたかめるということなのです。
 そこで、基礎代謝を上げる食べ物という考え方も、この①②を助ける食品ということになります。①筋肉をつくるタンパク質(肉、魚、卵、大豆など)、②筋肉細胞の活動をスムーズにするもの(しょうが、カテキン、カフェインなど)

タンパク質

 肥満を解消するためには、過剰な糖質摂取をやめて体脂肪の蓄積を減らし、タンパク質を摂りながら運動をすることで筋肉量を増やし、その筋肉を効率よく使うことで、太りにくい体質をつくってゆくことが必要なのです。

(次回に続きます)

太りすぎのダイエット(食事)について~その3~2015.11.01

食事時間の重要性

食事時間の重要性

 食事は人体運動へのエネルギー源の供給ですから、運動をしないで食事を続ければ当然太ってきます。一方、人体は飢餓状態を想定した危機管理機能も備えており、脂肪を蓄え、飢餓に備えます。つまり、肥満の背景には「運動不足」と「飢餓状態への危機管理」の二つの側面が考えられるのです。夜(午後9時以降)の食事について考えてみましょう。

1) 運動不足
 日々の運動は大切ですが、運動による消費カロリーは意外に少ないため(例えば、30分程度のウォーキングでは100Cal程度の消費になります)、継続が大切です。そこで、大切なのが基礎代謝のアップにつながる運動の継続です。「基礎代謝」とは何もせずじっとしていても、生命活動を維持するために 生体で自動的に(生理的に)行われている活動で必要なエネルギーのことです。「基礎代謝」については次回のムナクリ通信で解説の予定です。体を休める時間に食事を摂って基礎代謝量を上回ってしまえば、エネルギーの消費が行われない分、過剰なエネルギーは体脂肪に変換され蓄積してゆきます。
2) 飢餓状態への危機管理
 人間の体には摂取エネルギーを「体脂肪」として蓄える仕組みがあります。この仕組みは一通りではなく、何種類かの機構があるようです。
 本来就寝すべき時間に起きて、食事をすると「グレリン」という食欲促進ホルモンの働きが増してしまいます。グレリンには体脂肪蓄積作用(体脂肪利用抑制作用)があるため、太りやすくなってしまいます。また、「Brain-Muscle Arnt Like Protein 1(BMAL1)」というタンパク質も注目されています。このBMAL1(ビーマルワン)は体内時計の役割を果たすタンパク質と考えられており、一日の中で細胞内産生量が時計のように変動します。BMAL1は体脂質の蓄積を増加させ、肝臓、筋肉では体脂肪燃焼を抑制することがわかっています。つまりBMAL1が多ければ、体脂肪が蓄積されるわけです。脂肪細胞内のBMAL1量は、午後10時から午前2時までの間が最も多い時間帯となり、その後、次第に減少し、午前6時前後から急速に減少し午後2時頃には最低になることがわかっています。このため、BMAL1が多い夜遅くの時間帯に食事をすることで、太りやすくなる可能性があると考えられています。

夜遅くの食事摂取は健康にとって良くない事であるのは間違いないようです。私も、生活が不規則で夜の食事が23時以降になることが多々ありました。運動しても、カロリー制限してもなかなか内臓脂肪が落ちなかった経験があります。この時、BMAL1の作用を念頭に、夕食を午後7時に移動しました(家から夕食用の弁当を職場に持参するようにしました)。その効果はすぐにあらわれて内臓脂肪が減少してきました。食事時間の重要性を実感しています。

(次回に続きます)

太りすぎのダイエット(食事)について~その2~2015.09.01

炭水化物の必要性

炭水化物の必要性

 皆さんご存知の通り、人体にとって必要な栄養素は五つに大別され(五大栄養素:たんぱく質、脂質、炭水化物、無機質、ビタミン)、炭水化物も重要な栄養素です。炭水化物をまったく摂取しなかったとしたらどうなるのでしょうか?体を動かすために必要な「レギュラーガソリン」は脂質ですが、脳は通常「ブドウ糖」という炭水化物をエネルギー源としています。したがって、炭水化物を一切摂らなかったとして、もっとも困る人間の臓器は「脳」なのです。
 では、「脳」はどれだけのブドウ糖があれば大丈夫なのでしょうか?それは、一日当たり130gと言われています。炭水化物としては100g程度になります。お茶碗一杯分でおおよそ60gの炭水化物が含まれます。また、低糖質の野菜ジュース一杯にも25g、牛乳一杯には10g、野菜サラダのドレッシング一食分にも最低2gは炭水化物が含まれています。細かいものを合わせれば、炭水化物の摂取を控えたとしても一日100g程度の炭水化物は摂取しているのではないかと思います。
一方、ブドウ糖の過剰摂取には一種の中毒性があり、ブドウ糖の過剰摂取はより多くの糖摂取を欲するようになることが知られています。このことは炭酸飲料やスポーツドリンクの過剰摂取が問題になることがあります。
一般人は、一日に必要なエネルギー量の約60%を炭水化物からの摂取に依存しています。この60%という平均は良いことなのでしょうか?「赤信号、みんなで渡れば・・・」の論理は成立しません。食の世界規模での不均衡が飢餓地域を生み出し、先進国の過食傾向を強めていることは事実です。私たちは全体的に過食傾向にあることを認識しなければなりません。「太りすぎ」は過食傾向にある食生活の現実を直視することからスタートします。まずは、過食依存度の高い炭水化物の過剰摂取を是正することが初めの一歩です。炭水化物を制限して肥満を改善する食事療法(糖質制限)や脂質を制限して肥満を改善する食事療法(脂質制限)など、様々な意見があり、それぞれに賛否両論あります。しかし、具体的な食事療法を開始する前に、必要以上に摂取して太ってしまった現状の分析とその是正に向けてのモチベーションが最も大切なのです。この現状認識から、次のステップに入ってゆきましょう。

(次回に続きます)

太りすぎのダイエット(食事)について~その1~2015.08.01

日本人の食習慣

日本人の食習慣

 関節リウマチの治療で生物学的製剤を点滴で行う機会があります。この場合、投与薬剤量は体重に比例します。つまり、体重が重いほど必要な薬剤量が多くなるため、治療費がかさむことになるのです。また、重い体重は関節への負担となり、負荷関節の変形が進行しやすくなります。このため、関節リウマチの診療では、体重を落とすように指導することが多くなってきます。しかしこれは「言うは易し・・・」の典型です。関節の痛い患者さんが多いですから、運動で体重を減らすことは難しいと思います。結局は食事努力(ダイエット)で減量を試みることになってしまいます。しかし、実際の診療では、食事量を減らしてもなかなか体重が落ちないという言葉を耳にします。

「ご飯なんて子供のお茶碗に少ししか食べていないのに・・・」

実は、その子供のお茶碗に少しのご飯が問題なのです。この問題について触れてゆく前に、今回は、日本人の食習慣、食事の回数について取り上げてみたいと思います。

食事は一日3食が常識となっていますが、だれがいつ決めたことなのでしょうか?歴史的にはどうなのでしょうか?

そもそも日本の歴史の中で、食事の回数は肉体作業の量的変化によって一日1食から3食に増えていったようです。農作物や狩猟の収穫が少なかった時代には、食物が得られたときに1食摂るのがやっとだったようです。その後、農耕技術や狩猟技術の進歩は、食料の安定供給を可能にするのと同時に、労働量の増加をもたらしました。このため、食事は一日2食になってゆきました。その後、禅宗が普及すると、禅寺の習慣で「天心」というおやつのような食事が昼食として浸透するきっかけとなりました。また、戦国の時代には、長距離を移動して合戦というかなりハードな肉体作業をするようになったため、弁当昼食は必需品になったのです。
作業量に比例して増えた食事内容の中心は米などの「炭水化物」でした。つまり、食習慣を歴史的に見ると、「食事の後には肉体労働」というルールがあったと考えられます。確かに「炭水化物」は燃焼スピードの速い、ジェットエンジン燃料のようなものですから、労働・作業効率向上には欠かせない栄養であったことでしょう。炭水化物の摂取に際しての大原則が「食事の後には肉体労働」であるとしたら、食事の後の肉体労働が無かったり、少なかったりしたら、どうなるのでしょうか?当然、燃焼されなかったエネルギーは蓄積されることになります。つまり、ご飯などの炭水化物を食べた後、それを消費しきれなかったら太るということになるのです。「肥満」を考える場合、まず考えるべきは「炭水化物」の摂取方法なのです。

(次回に続きます)

バレエ対談 その22015.07.01

宗像靖彦クリニック顧問 山野博大先生(舞踊評論家)に聞く

2015年上半期に見た舞台から

ballesinsyun

―――2015年も半分が過ぎました。ここまででどのくらいの数、公演を見ているのですか。
山野博大◆数えてみたら153です。そのうち舞踊公演は120で、その他は歌舞伎、能狂言、文楽などの日本の古典芸能とオペラ、ミュージカル、現代演劇などで33。
―――月に換算すると舞踊が20本、その他が5~6本ということになりますね。
山野◆こんなに見て、いったいどうするんだろうと自分でも思いますが、こういう状態がもう半世紀以上も続いて、今では日常化しているんです。
―――2015年前半でもっとも心に残った舞踊は何でしたか。
山野◆4月に東京芸術劇場プレイハウスで見た『ドラミング』ですかね。これはブリュッセルの有名な舞踊団ローザスを主宰するアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの作品です。ローザスの初来日は1989年のことで、今回は5年ぶり。『ドラミング』は1998年の初演で、男4人、女8人が踊りました。いろいろに踊りをつないで途切れることがない状態を続けているだけで、ドラマ的なものは何もないのです。しかしいずれもとびきり優秀なダンサーたちの踊りでしたから、それで十分満足しました。
―――日本のものではどうですか。
山野◆6月に八王子のオリンパスホールで見たバレエシャンブルウエスト公演の『Tale』が、強く心に残っています。これは舩木城という若い振付者の新作なんです。どこかの地域社会を描いたものという感じで幕が上がります。主役をはじめから目立たせないようにして、じわじわと踊りを広げて行く。そうして中心の男女(今村博明、川口ゆり子)の愛の行方に焦点がぴたりと合ったところで幕となります。若い優秀なダンサーの見せ場もあり、とても見応えのある中編でした。舩木という振付者は、ダンサーを厳しく動かす妥協のない人なんです。自分の師にあたる今村博明と川口ゆり子にも、かなりハードな動きを課していました。もう若くないどころか高年齢の域に達している二人の真摯な取り組み、懸命さが客席まで伝わってきました。久しぶりに中味の濃い「創作」を見たという昂揚感を覚えました。
―――創作では、他に何かありましたか。
山野◆1月にKAAT神奈川芸術劇場ホールで見たNoism 1の金森穣の新作『ASU~不可視への献身』は、問題作でした。昨年の12月19日に彼らの本拠地である新潟のりゅーとぴあで初演したものを神奈川で再演したのです。第1部の明るかった舞台が一転して暗くなり、第2部の「ASU」となります。灯火を掲げたダンサー9人が登場して、アルタイ共和国に伝わるカイ(喉歌)という、日本の義太夫を思わせる感じの歌で踊ります。金森穣は、ここで長い時間をかけて日本に蓄積した洋舞の「動き」の持つ独特のハイカラなニュアンスに「待った」をかけたのではないかと私は思いました。大事なところをぐさりと突いて来たという意味で、これは問題作なのです。Noismは、3月の《NHKバレエの饗宴》では『supernova』を上演して、トップ・ダンサーであり、副芸術監督の井関佐和子を強烈にアピールしました。6月にKAAT神奈川芸術劇場大スタジオで『箱入り娘』という、小さめの舞台空間を使った近代童話劇シリーズの第1作を披露しました。この作品は今の時代に生きている我々の生の姿を描いて、観客につきつけてくる怖い怖い童話劇でした。初演はこの4月にりゅーとぴあのスタジオBでやっています。まず地元の人たちに見せてからという姿勢を彼らは常に忘れていないのです。
―――Noismは新潟の劇場を拠点にして、土地と結びつく新しい舞踊の創造に時間をかけて取り組んでいますね。
山野◆そうです。そういう彼らの活動の意義を理解して、第二のりゅーとぴあが早く出てきてくれないかと思っているのですが、残念なことに、今のところまだその動きは見られません。それから3月に新宿文化センター大ホールで見たユニット・キミホ公演の『春の祭典 Le Sacre du Printemps』もけっこうおもしろかったですね。赤い布を幕、舞台美術、床の敷物と使いまわして、そこに地球を構成する粒子としてのダンサーたちをからませるんです。床に敷いた赤い布を揺らした波の中で人間が翻弄される感じが、なかなかの見ものでした。
―――バレエ以外では、どうですか。
山野◆このところ勅使川原三郎の動きがとても活発です。活発を通り越して過激と言ってもよいくらい。彼は東京の荻窪に自前のスタジオを構えているのですが、その地下を“アパラタス”という小劇場にして連続公演をやっています。1月に『春、一夜にして』『道化』『平均率、バッハよりⅡ』、3月に『朝』、5月に『ペレアスとメリザンド』『神経の湖』、6月に『ゴドーを待ちながら』『星座』と半年で8作品という多作ぶりです。こんなにたくさん作っているのに、緻密に重ねられた動きの繊細さ、力強さ、展開の多彩さが、どの作品においても見る者に踊りの良さ、おもしろさを伝えました。
―――勅使川原さんはたしかもう還暦を過ぎていると思うんですが、たいへんなエネルギーですね。
山野◆そうなんです。その他に海外での仕事もやっているのですから、すごいです。そのすばらしい活躍ぶりを評価して、この6月に現代舞踊協会制定の第32回江口隆哉賞(文部科学大臣賞も)が贈られました。
―――その他、注目すべき舞踊界の動きとしては……。
山野◆3月に新国立劇場中劇場で、ダンス・アーカイヴin JAPAN 2015《石井漠、江口隆哉、執行正俊、檜健次、石井みどりの作品》という公演がありました。これは昨年6月の《ダンス・アーカイヴin JAPAN》に続くもので、日本の現代舞踊の歴史的遺産を再現して見せようというものでした。とかく新しいことに目が向きがちですが、すでに100年となる日本の洋舞の歴史を知り、そこからいろいろなものを取り入れて自分が今やっている舞踊を豊かにするという方法もあると思うんです。すでにそういう動きが日本のあちこちに出てきています。
―――東日本大震災の直撃を受けた東北地区の舞踊活動はどうだったのでしょうか。
山野◆現地に住んでいないので、詳しいことはわからないのですが、東北地区の舞踊家が主催する公演は目立って減っているのではないかという気がします。3月にイズミティ21大ホールで行われた宮城県洋舞団体連合会主催のコンクールの審査を今年もやらせてもらいましたが、その時に東北地区の舞踊家の厳しい実態を聞きました。復興がままならない中で、庶民の家庭でまず削られるのが舞踊を習うための月謝なんですね。稽古に通ってくる子どもが「家の事情で辞めます」と言ってくる。そんな時に、ほんとうは舞踊が好きで辞めたくない子どものことを思う先生は「月謝が払えるようになるまで待ってあげるから、辞めないでいいんだよ」とどうしても言ってしまうそうです。それが重なって、生徒はいるけれども収入が激減という事態になっている。
―――被害を受けて苦しんでいる舞踊家が、被災した子どもたちにボランティアで舞踊を教えなければならないという実情は、私も知りませんでした。
山野◆だから発表会に参加できない子どもが多くなって、中止せざるをえない事態に追い込まれているところもあるそうです。このまま行ったら廃業しかないという声も聞こえてきます。しかしそういう実態は、他の地域の人たちにはあんがい知られていないんです。東北地区へ行って、地元の人たちに無料で踊りを見せることを支援だと思っている人がいます。発表会もできない状態に追い込まれて、自分の舞踊を見せる機会を持てない舞踊家がいることを考えたら、そんなことはできないはずなんです。ほんとうに支援する気があるのなら、月謝を払えない子どものために奨学金を出してあげることを、まず考えるべきではないでしょうか。
―――厳しい被災地の実態を舞踊の全国組織の上に立つ人たちはしっかりと把握して、直ちに行政に働きかけるべきです。そんな東北地区の舞踊家で、注目すべき舞台をやった人はありましたか。
山野◆私の見ている範囲でしか言えないのですが、仙台の高橋裕子舞踊団が《第35回モダンダンス5月の祭典》で『Eternity』を、6月の北沢タウンホールで行われた《DANCE創世紀》で『野鴨』を上演して気を吐きました。『野鴨』は、高橋茉那、山田総子、三浦水輝、宗像亮ら10人による群舞作品で、ダンサーたちの高度な技術を使いながら、全体としてはたんたんと野鴨の生態を描いた、しっとりと落ち着いた良い作品でした。
―――その他、注目すべきこととしては……。
山野◆この期間に有名舞踊家が何人も亡くなっています。1月7日に小川亜矢子(享年81)、2月22日に坂東三津五郎(享年59)、4月26日に谷桃子(享年94)、4月30日に藤間蘭景(享年85)、5月2日にマイヤ・プリセツカヤ(享年89)、6月18日に室伏鴻(享年68)と続きました。
―――小川、谷、プリセツカヤがバレエ、三津五郎が歌舞伎舞踊、藤間蘭景が日本舞踊、室伏鴻が舞踏ですね。みんな舞踊の歴史に名前が残る人ばかりです。
山野◆谷さんは、1月の94歳のお誕生日のお祝いでお目にかかった時には、とてもお元気だったんですが……。ひとつの時代が終わったという感じですね。時代が変わる出来事としては、6月に日本バレエ協会の会長が薄井憲二から岡本佳津子に代りました。薄井さんが、ご病気の回復がはかばかしくないということで退任を申し出られ、急きょ副会長の岡本さんの就任が決まりました。それで6月12日の第31回服部智恵子賞の授賞式では、彼女が会長として中村恩恵に賞状を渡しました。中村恩恵は、服部・島田バレエ団のプリマだった小倉礼子の門下ですから、服部智恵子の孫弟子にあたります。服部・島田バレエ団系統の人が初めてこの賞を受賞したことを、服部さんもあちらで喜んでいると思います。
―――中村さんは、クラシック・バレエの枠を飛び越えてコンテンポラリーの方でも活躍する舞踊家ですね。ネザーランド・ダンス・シアターでキリアンの作品を踊っていました。今までは、服部智恵子賞はクラシック・バレエのプリマが貰うものと思っていましたので、新たしい時代に入ったなという感じがします。
―――舞踊以外の舞台もたくさん見ているようですが、何かおもしろかったものがありましたか。
山野◆6月の終わりに新国立劇場で見たオペラ『沈黙』が良かったですね。これは遠藤周作の原作をもとに松村禎三が台本を書き、作曲したものです。1993年の初演です。弾圧されているキリスト教徒を救おうと危険を承知で来日し、神の沈黙の前で苦悩するポルトガルの若き宣教師ロドリゴが主人公です。それから5月に見た新国立劇場演劇公演のイプセン作『海の夫人』もおもしろかったですね。医師ヴァンゲルの後妻となり、二人の娘の母にもなってしまう海の夫人エリーダ役を演じた麻実れいのたしかな存在感。とてもすてきでした。
―――まだいろいろあると思いますが、だいぶ長くなりましたので、この辺で……。
山野◆まだまだ、クラシック・バレエの若いスター・ダンサーのこととか、このところのコンテンポラリーの状況とか、最近の日本舞踊界の動きとか、話しておきたいことがいろいろとあるのですが、それはまた別の機会に……。

宗像靖彦クリニックでは、バレエダンサーの医学管理・コンサルテーションを行っております。

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