ムナクリ通信

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2015年 新春対談 2015.01.01

宗像靖彦クリニック顧問 山野博大先生(舞踊評論家)に聞く

大切にしたい踊る人のからだ

ballesinsyun

――日本のバレエの歴史はどのくらいになるのですか。
山野博大◆ 1911(大正1)年に日本初めての洋式劇場の帝劇が建ち、そこへローシーというイタリア人がやって来て日本人にバレエを教えたのが始まりです。だから日本の洋舞の歴史は、約100年というところです。私はその日本に入ってきた洋舞を半世紀以上も見続けてきました。橘秋子、松尾明美、友井唯起子、谷桃子、貝谷八百子、松山樹子、笹田繁子、太刀川瑠璃子、牧阿佐美、松本道子、須永晶子、小林紀子、岡本佳津子、大原永子ら、日本バレエの歴史に名前を残した人たちの舞台姿が懐かしいです。

――そういう日本バレエの昔のスターたちの踊りはどんなだったのですか。
山野◆ 多くは脚の故障を抱えていました。日本の古典芸能は、からだを痛めつけることで芸を身につけるスパルタ式訓練を基礎にして伝えられてきました。20世紀になって日本に入ってきたバレエにも、その影響は及んでいて、みんなその試練に耐えてスターの座を目指したのです。そういうわけで、どうしても腿やふくらはぎの筋肉が目立ち、きれいと言うよりはたくましいと言った方が適切なからだつきの人たちが多かったと思います。トーシューズの履き方も自己流で、外反母趾はあたりまえ。脚の故障を押して舞台に立つ人も多かったのです。

――欧米のバレエと違った歴史をたどってきたんですね。
山野◆ クラシック・バレエの中心に存在するお姫様は、きれいで品が良いことが第一ですから、からだに苦しい訓練の跡が残っていてはいけないのです。まず美しいからだを作り、それをたくみにコントロールする方法を身につけるための教育が、ルイ14世が創立したパリ・オペラ座のバレエ学校以来、ずっと行われてきました。スパルタ式の訓練は行われたことはありません。

――日本のバレエ界がその違いに気付いたのは……?
山野◆ 1960(昭和35)年にチャイコフスキー記念東京バレエ学校が設立され、メッセレル女史が来日してロシア式のバレエ・テクニックを教えるようになってからですね。そこから日本のバレエ教育は大きく変わりました。日本の経済力が強くなったことがベースとなって、トーシューズを製造する技術も飛躍的に向上しました。それにつれてバレリーナの脚がだんだんきれいになってきたのです。

 
――バレリーナの脚に対する医学的な面からのフォローは、どうだったんでしょうか。
山野◆ お父さんがお医者さんというバレリーナがいました。そういう人たちは、脚を大事にする意識をいくらかは持っていたと思うのです。しかし専門的な知識を身につけたお医者さんは、まだとても少ないのが実情です。今年の私の仕事はじめは、一月に東京で行われた“NBAバレエコンペティション”の審査でした。そこに登場したダンサーたちの脚は、半世紀前とは比べものにならない美しさでした。しかし、中にはまだスパルタ式訓練を思わせる、腿やふくらはぎの筋肉が目立つ人もちらほら見えました。

――バレエ先進国の欧米との違いがまだまだあるんですね。
山野◆ 向こうのバレエは400年以上の歴史を持っているので、なかなかその差はかんたんには埋められないと思います。しかし日本人ダンサーが世界の多くのバレエ団で活躍しています。脚を大事にしなければいけないという意識は、かなり広まってきています。そういう意味から、踊る人のための宗像クリニックが身近にある仙台の舞踊家たちは幸せですね。

――その他、何かありましたら。
山野◆ 戦前からの歴史を持つ日本の現代舞踊の人たちは、からだを痛めつけることで芸を身につけた日本の古典芸能に似たかたちのトレーニングを受け継いでいます。まだ脚を大事にする意識はかなり薄いように思います。また最近はやりのコンテンポラリー・ダンスは、無理なからだの動きを使った新しい表現を目指す傾向が強いこと、それに対する肉体的な保護措置が追いついていないのが実情です。どうしても怪我人が多く出てしまいます。ダンサーにとってからだはかけがえのない財産ですから、くれぐれも大事に使って、活躍してもらいたいと思います。

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